こんにちは。
(株)エンドウ専務取締役の遠藤浩美です。
すっかりご無沙汰していました。

 

季節はすっかり秋です。
このブログは、金沢の雨庵(うあん)というホテルで書いています。

金沢に来た理由は、人材会社にいる友人から
「海老原嗣生さん(ドラゴン桜の監修)を呼ぶ企画をしたからぜひ来てね!」
と、声をかけていただいたからです。

採用を生業としている私が生海老原さんの話を聞かないわけにはいかない!
というわけです。
きっと面白いネタがあると思うので、その話は後程書きますね。

このホテルは、金沢城のすぐ近くにあります。
お天気もいいので朝の散歩をしてきました。
お城の石垣沿いを歩いていて、先日読み終えた
「塞王の盾」(今村翔吾)という本を思い出しました。

 

内容をさっくりお話しするとこんな感じです。

 

時代は関ケ原合戦の前哨戦の大津城の戦い(城主は京極)
城の石垣を築く仕事をする穴太衆と国友の鉄砲鍛冶が
その戦いで石垣と鉄砲で対決する話です。

それまでも数々の戦いを経て自分たちの技術を進化させてきました。
今度こそは自分たちの技術の方が上回るはずと信じて・・・

戦国の戦い、といえば
豊臣秀吉 対 徳川家康の武将という側面で捉えることが多かった私にとって
そういう技術同士の戦いがあったという事が新鮮な内容でした。

それにもまして、仕事に対する情熱が濃い。
だから戦争は、相手の技術の情報を得る場でもあったわけです。
想定して、作って、結果を見て、次に何をすべきかを決める。
会社のPDCAそっくりですね。

その戦の最中に石垣と鉄砲の頭(かしら)は、戦いながら感じるのです。
「もうこんな戦いは終わらせよう」
という想いが互いに同じだったことに。

 

でも、その方法は真逆です。

まさに「矛盾」ですね。
二人とも、家族を戦争で亡くしていて
悲しみを抱えて生きているという境遇も同じでした。

だからこそ、自分たちが不要になる平和な世の中を
強く望んだのです。
ここにも、もう一つの矛盾があります。

読み進めていて鉄砲頭の言葉が心に残りました。
「鉄砲は人を殺す道具じゃない。
みんなが持てば、盗賊に襲われることもなくなるし
女が凌辱されることもなくなる。
鉄砲は平和のために必要なものなんだ。」

賛否両論あるとは思いますが、
時代背景を考えると、あながち否定はできないと思いました。

社内でもこの小説と同じようなことが時折起こります。

部下に新しいことを次々に教えていく過程に
「こんなに教えたらいっぱいいっぱいになってしまうから
可哀そうでこれ以上教えられない」
という意見の人と、

「新しい学びは知識が増えることで
仕事が楽になるから一時は大変でもどんどん教える」
という人がいます。

一見、行動は真逆なことのように見えます。

では、違いは何だと思いますか?

私は教えることへの時間感覚だと思います。

可哀そうと思う人は今だけの目線で、
どんどん教える人は少なくとも二、三年先に目線があります。

今はわからなくてもいいけれど
いつかは、これらの知識が繋がる時が必ず来る。

この考え方は、相手を信じていて、
心の中で励ましています。

でも、どんどん教えるには可哀そうかな?と思った時も
その過程にきっとあったはずです。

その次に、やっぱり知識が積みあがるまでは
辛抱の時期のなんだと気づくわけです。

だから、この教え方はどちらも間違いではない、ということですね。

やり方が違うと対立しているように見えますが
部下に対する思いは同じです。
どちらも相手の成長を望んでいます。

「塞王の盾」と同じことですね。

社内にこのようなやり取りがみられることは
上司と部下がよく話しているという事だと思います。

(株)エンドウの夕方の事務所内は
一日のうちで一番賑やかです。

私はそんな光景を見ると、心が温かくなります。