義理の母がサービス付き高齢者住宅に入居しました。

食事は作ってくれるし、自由に暮らしながら、健康面などもサポートしてくれる。

私たちは、そこはパラダイスだと思っているのですが…。

義理母には”姥捨て山”のように感じているようです。

「なんで私は、監獄に入らなくちゃならないの!」

なんてことを言っています。

義母のことを想って入居させたことは当人にとっては幸せなことではなかっようです。

「幸せ」について考えさせらる出来事でした。

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幸せかどうかは捉え方次第
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私たちはよく「幸せになりたい」とか「幸せな人生を送りたい」と言いますが、
そもそも「幸せ」 とはなんでしょうか?

「偉くなること」
「お金持ちになること」
「美味しいものを食べること」
「旅行すること」

など・・・

「幸せ」の定義は人それぞれであって、一義的な定義があるわけではありません。

ある人にとっては「幸せ」と感じていても、別の人にとっては
「幸せ」と感じないこともあります。

「幸せ」とは、人それぞれの感じ方によるものなので、
定義することは難しいですよね。

けれど、だからこそ、

幸せかどうかはすべて自分が決めている、

ということにもなります。

自分の捉え方しだい
自分で選択できる
自分でコントロールできる
自分で幸せな人生にできる

これを知るだけでも、違うと思います。

言ってしまえば、幸せだけでなく、今見えている現実はすべて、
自分がどう捉えどう認識しているか。

すべては、自分が作り出しているということ。

自分の過去の体験から、
「これって、こういうものなんだ」という
解釈をして(そういうメガネをかけて)、
それが間違いのない真実であると思い込む。

そうやって、自分のメガネを持って、
今見ている、感じている世界はすべて
自分のメガネを通して見えている
世界だということ。

自分がそうだと信じている
世界だということです。

言い換えれば、メガネ(ものの見方、事実をどう捉えるか)
をかけ変えれば、自分にとっての現実は大きく変わる、ということです。

そのためにまず大事なのは自分自身の内側を整えること。

結局は、自分の在り方が問われているのです。

自分がどう在るか、どう在りたいか?
それを選ぶのも自分。

それがわかれば生きる道筋が見えてきます。

普段、当たり前だと思っている些細なことも、捉え方が変われば、
自分の幸せに変えることもできます。

その積み重ねが、幸せな人生をつくっていく、そうおもいます。

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その後、義理の母はと言うと…
なんだかんだ楽しくやっているようです。