この度、能登半島地震にて被災された多くの皆様にお見舞い申し上げます。
わたしも高校2年生の3月に、東日本大震災を経験しました。
この地震+津波がどれほど恐ろしいものか、体験しています。
だからこそ、思っていること・感じていることもあるのです。
それは”水道の大切さ”です。
地震が起きるたびに、様々な問題が発生しますが、そのほとんどが”衣食住”であり、生活の根本となっている部分です。
食料がない
着替える衣類もない(女性や幼児はなおさらです)
住む家もない
このような状態の中で、私が最も恐怖を感じたことは「水が出ない事」でした。
本当に生命的な危機に直面すると、水を欲します。
それは、水を飲むため、トイレを使用するため、衛生的に生活するためなど
多方面の理由からです。
電気も大切ですが、わりと後発的な産物なので、生命を維持するために必要なものかというと水に比べれば優先度は低めかな、と思います。
(医療の現場などを考えると、電気も最重要インフラであると思っています。)
何億年も前から存在し、生命を維持するために必要とされてきたのは水道なのです。
しかしながら、水道はほぼ無限に・安く使用でき、生活するうえで必須であることから、蛇口をひねれば当たり前に水が出てくるし、水道管なんて目に見えないので、ありがたみも薄れます。
とはいっても、エンドウで施工した水道工事によって市民の皆様が”当たり前に水道を使えている”という状況は、私ができる唯一の社会貢献なので、成果としては目に見えており、達成感もあります。
自社のスタッフや、市内で水道工事をしている皆さん。それらを日々管理し業務をしていただいている水道局の皆さまのことも本当に尊敬しています。
本当にいつもありがとうございます。
しかし、今回の能登半島地震でも水道管の破損によって断水が続くエリアがまだ多くあるそうです。
もちろん大規模な地震によって、水道管が破損することは多いのですが他の理由もあります。
老朽化した水道管を更新していない(できない)ことです。
多くの水道管が高度経済成長期に日本中へ広まり、布設されましたが
2024年現在はそのほとんどが耐用年数を超え、老朽化しているのです。
しかも水道料金が安すぎて、市民から徴収した水道料金だけでは、古い水道管の更新費用が賄えないのです。
”本当にこれでいいんでしょうか?”
ちょっと大きめの災害が発生したら、水道が壊れちゃいます。
なんてところに安心して人が住めるでしょうか?
人が安心して住めるから、そこで事業ができて雇用ができて、何かしらの需要が生まれて、小規模な経済が全国の市町村単位で生まれていくのだと、私は思っています。
自然災害は誰にも予想ができないし、止めることはできません。
ですが過去の事例から学び、対策を練る・実行することは可能だと思うのです。
人々が当たり前に水道を使えるように、安心して暮らせる社会を提供するには、水道予算の抜本的な見直しが必要です。
水道事業者の独立採算制も大幅に見直し、国土強靭化計画には国交省主導のもと水道管の更新を組み込み、税の投入も必須です。
私たちの子孫が安心して暮らせる社会を、水道インフラから支える未来に期待したいです。