40歳の時に、アップライトのピアノをもらい受けました。

このピアノには、思い出がありすぎてここには書ききれないほどです。

私が10歳くらいの時に母の友達が娘さんに買ったもので、

その娘さんが遠くに引っ越しをするのでピアノを誰かに譲りたいなと思ったところに

子供の頃に欲しがっていた私に白羽の矢が立った、

というわけで、30年経ってめでたく私のものになったのです。

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それで、「四十の手習い」ということで習い始めましたよ。

かれこれ20年近く習っています。

最初の先生は、ピアノが苦手な声楽が得意の先生でした。

習い始めて8年ほど過ぎた頃、どうしてもショパンが弾けなくて

「先生、弾いてもらえますか?」

とお願いしたところ

「私、ピアノ嫌いなんだよね・・・」

とポツリと漏らしました。

そういえば、弾いてくれたこと一度も見たことなかったなと

改めて気づきました。(上手くなるはずありません・・・)

それから島村楽器に通い始めて、今の先生とは10数年の付き合いになります。

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先月(2月)に二年越しの曲が終わりました。

ベートーヴェンの「悲愴」

まずは、ピアノの譜面を「譜面通り」に弾くことを目標に始めます。

初心者の頃は、それで終わり、仕上がり、と思っていました。

そう思っていた理由としては、「私が初心者だったから」

先生は、まず、私がピアノを楽しく続けられるようにそうしてくれていたのだと思います。

この点は、エンドウの新人教育と同じかな。

私のレベルに合わせて変化していったのは教えられる内容が、

「弾き方」にシフトしていったこと。

それからは悩みに悩みまくる日々です。

ある日のレッスンは

「もっと手首を使いましょう」

「もっと指の力を抜きましょう」

「小指が鍵盤に届きていませんよ、小指側に手にひらを傾けて弾いてみましょうか」

「椅子の座り方が深すぎですね」

「○○なイメージで弾いてみて」

一見、ピアノを弾く という事からかけ離れているような教えを理解できずに

このようなことが何の足しになるのかな?

くらいに感じていました。(先生ごめんなさいね)

私の想像力の足りなさを感じて、どうしたらそういうことができるようになるのか迷走しまくっていましたよ。

でも、ですよ。

迷走中であっても、ちょっとでもできるようになると

変わるのですよ、ピアノの音が!

パリッとしたり、キリっとしたり、ソフトになったり云々・・・

音に表情をつけるという事がこういう事なんだ、とわかったら

まぁ練習も面白くなるわけです。

子供のお遊戯会のようなピアノをずっと弾いていたんだなという自覚が生まれたのもこの頃ですね。

今日の練習はこういうことをやってみようなど、

自分の練習にもテーマや工夫ができて、やってみるとそのような音に近づくのですから。

後は、レッスンの時に先生の前でどれだけ緊張しないで練習通りに弾けるか。

動画も撮ることで、手の使い方や自分の音を客観視できる助けにもなりました。

最終回に先生から頂いた言葉は

「やっとピアノを鳴らせるようになって曲になりましたね」でした。

その言葉を頂いた時は、涙がこぼれそうになりました。

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その道で長く活動されている方にはマニュアルには書くことができない

簡単に伝えることができないことがたくさん詰まっています。

先生も私を何度ももどかしく思いながら接してくれていたのでしょう。

辛抱が多いのは先生の方です。

教わっていながら、自分を先生に預けっぱなしで

自分のことなのに自分を工夫したりなど

「自分を自分で育てるんだという自覚」が不足していたことに

気が付いた時は膝が崩れ落ちそうなくらい自分に失望しました。

「悲愴」は未熟な自分を育ててくれた大事な曲、

毎朝 弾いてから出社しています。 

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習い事は何のためか?

60歳でも自分という人間がまだまだ知らないこと、できないことがたくさんあるという事を思い知らされて、謙虚になるためです。

年齢を重ねるごとにその気持ちは強くなり、謙虚の色合いは濃くなっていくばかり。

「先生」という存在が自分の生き方には不可欠な存在です。

ピアノで習得したことは、意外なところで他の習い事にも活かされています。

次は、それらがどう活かされていったかを書きますね。